代表者の自己紹介 その2
2023年11月10日 18:56
いつもありがとうございます。
SOHO BOX 北浜の川原田です。
先月号の続きとなります。
お時間あるときに目を通していただければ嬉しいです。
明石高専を卒業する5年生(20歳)の夏、
神戸に本社があった製鉄会社系列の造園土木会社で働くことを希望し、試験をパス。
1985(昭和60年)年に就職しました。
バイトとして1週間経過後、4/1に正式入社。
いきなり一つの現場を任されました。
神戸市営地下鉄の終点が神戸市須磨区の名谷駅だった時代。
通った現場は、神戸市西区の開発現場です。
新人研修など何もなく、先輩社員は現場を持って忙しくしており、
上司からの干渉も一切なく放りっぱなし。
何をしたらよいのか?
右も左も分からない私は右往左往。
当時、専属下請業者として私の現場で一緒に仕事してた20代後半の男性から、
開発公社へ提出する工事写真の撮影方法や、
その写真撮影に必要な工事看板の書き方等のレクチャーを受けました。
この会社での一番の思い出は、
当時の美智子妃殿下から私たち二人だけに向けて手を振ってもらったこと。
ある道路の緑地管理業務に従事していた暑い夏の日。
「これから通過されるから、作業を中止してください」と警察官から言われ、
一緒に作業してた同世代の男性とバイパスを見下ろす斜面に腰を下ろしました。
「来た!」
黒塗りの車の一団が目の前を通り過ぎます。
後部座席の窓を全開にしている1台の車が見えました。
助手席の後ろに姿が見えた美智子妃殿下が、
崖に座っている私たちに気付かれ、手を振ってくださいました。
あの笑顔は今でも鮮明に思い出せます。
その後転職し、土木から建築業界へ移ることとなります。
様々な建築物に携わったのですが、
一番記憶に残っているのは
新築分譲マンション建設現場でのJV(ジョイントベンチャー)経験。
私が働いていた会社の親会社が、
ある工場を閉鎖することとなり、跡地を分譲マンションの建設地へ。
広大な敷地をサウススクエアー、センタースクエアーなどと名付けた工区に分け、
ショッピングモールや数多くの中層マンションを建設する計画です。
数多くの大手や中堅ゼネコンがJVを組み、工事を請け負いました。
私の勤務していた会社もS建設と2社JVを組織し参加。
結婚したばかりの私がその任に当たりました。
大きな現場となると、工種ごとに担当が決まります。
その担当を束ねる主任がおり、その上に所長がいます。
お世話になったのは、S建設のI所長。
当時、現場所長としては異例の30代。
S建設の将来を担うと目されていたバリバリの男性です。
私の担当は内装全般。
分かりやすく説明すると、
コンクリートで躯体が出来上がった『がらんどう』の状態から、
人が住めるように完成させるまでの、すべての工程です。
総戸数約70戸のマンションは初体験だった私。
I所長には頼りなく見えたのでしょう。
やることなすこと、すべて否定されました。
工事事務所での日々は、毎日針のむしろに座っている感覚です。
お昼になるとS建設が用意してくれるお弁当を、
JV職員が同じテーブルで囲むランチタイムがあります。
私の目の前は、いつも所長。
弁当を食べながら「川原田さん、●●どうなってますか?」
「はい、●●はこういう風に指示してます」
「うーん、それは△△のようにしないと。
今からやり方を変えるように動いてください」
弁当を食べ終え、担当する職長が昼寝している車へ。
「■■さん、所長がこう言ってるねん。悪いけど昼からこうやってくれへん?」
「えっ、それ朝礼であなたが言った話と違うやん」
来る日も来る日もこんな感じ。
新婚だったからかもしれないですが、
『本当によく持ちこたえた』と思います。
その後の話は次回へ。