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代表者の自己紹介 その1

2023年11月10日 18:40

いつもありがとうございます。


SOHO BOX 北浜の川原田です。


1965年(昭和40年)3月 神戸市兵庫区生まれ。


幼少の頃、父が購入した家が建つ明石市魚住町へ引っ越し。


この頃の写真では、自宅前から瀬戸内海が遠くに見えていました。


小さい頃はおとなしく、段ボール箱の中に入れておいても、

暴れたりすることはなかったようです。


明石市立魚住幼稚園(年長のみ)、魚住小学校、魚住中学校を卒業。


小学校低学年の時、記憶に残っているのは歯医者の待合室に何時間もいたこと。


帰宅時間を過ぎても帰ってこない長男を心配した母が歯医者へ行くと、

同じ絵本を繰り返し読む息子の姿が。


原因は診察券を窓口へ渡していない私。


今考えると、我慢強いというか、歯科医の受付嬢は何をしてたんだろうかと感じますが・・・


中学時代は校内暴力の始まった時期でした

(腐ったミカンの方程式、覚えている方もいるでしょう)。


が、私とバッテリーを組んでいたのが、ワルのNO.2だったので

トラブルに巻き込まれることはありませんでした。


自分の望んだ高校に進学できない(させない)という

明石市の総合選抜制度に反発し、私学の有名高校を目指しました。


が、自己流の勉強では歯が立たず、

国立明石工業高等学校土木工学科(現在は改名し都市システム工学科)へ入学しました。

結構勉強して入学できたことで目標を失い、勉学に身が入らない日々。


気付けば2年生に進級するため、受けられる補講はすべて受けていました。


明石高専は4学科あり、1学科1学年で1クラスだけの40名。


卒業までの5年間、同じ顔ぶれです。


長期間、ほぼ毎日顔を合わしているのですから、絆は相当深くなります。


ただ、進級するためのハードルが高く、落第する人が少なからずいました。


もちろん落ちてくる先輩もいました。(最大3歳違い!)


ちなみに今でも付き合いのある同時卒業の先輩は2名います。


留年することなく、何とか5年間で高専を卒業。


ここ最近の高専は大学進学のための予備校的存在のように感じますが、

昭和60年に卒業した同級生で進学したのはわずか数名。


ほとんどが就職組です。


高専生は即戦力になるので、就職率は100%。


私が卒業する年は大手企業の求人票が並ぶ光景ではありませんでしたが、
それでもかなりの求人数でした。

もちろん成績順で行きたい会社を選んでいきます。


就職の基準となるのが、4年生の成績。

私は中の下。

私は自宅から通える範囲で探していました。

以降は次回のSB通信で。