真実を語れ。偽りを語るな。
2026年01月23日 09:52

「嘘はつくな」と言うと、道徳の授業みたいに聞こえる。
だが現実はもっとシビアだ。
嘘は、誰かの心を傷つける以前に、まず自分の世界の解像度を下げる。
都合のいい言い換え、曖昧な責任、盛った実績、薄めた謝罪。
そうやって現実を加工するたびに、私たちは“事実と向き合う筋力”を落としていく。
怖いのは、嘘が一度きりで終わらないことだ。
小さな偽りは、次の偽りのための土台になる。
辻褄を合わせるために記憶をいじり、相手の反応を操作し、沈黙を買い、味方を増やし、敵を作る。
気づけば人生が「本当の問題」ではなく「嘘を維持する作業」で埋まっていく。
これが地獄だ。
燃えているのに、外からは見えない。
真実を語ることは、正しさの主張ではない。
むしろ敗北の受け入れに近い。
「できていない」「知らなかった」「怖かった」「間違えた」。
その言葉を言えるかどうかで、人は信用を積む。
逆に、体裁を守るために嘘を選ぶ人は、短期的には得をしても、長期的には必ず支払う。
信用は利息付きで返済を求めてくるからだ。
もちろん、真実は刃になる。
言い方を誤れば、人を切る。
だから必要なのは“真実+責任”だ。
事実を述べ、意図を明かし、影響を引き受ける。
言い訳ではなく説明をし、相手の選択肢を奪わない。
黙るべき時は黙る。
ただし黙るのは「嘘を隠すため」ではなく「害を増やさないため」に限る。
結局、偽りを語るな、という命令は他人のためではない。
自分を壊さないためだ。
真実は痛い。
だが痛みは治癒の入口だ。
偽りは甘い。
だが甘さは腐敗の匂いを隠すだけだ。
今日一つだけ、事実を事実のまま言え。
それが、明日まだ自分でいるための最低条件になる。