観自在
2026年01月22日 09:34

「観自在」と聞くと、どこか高い山の上にある言葉のように感じる。
けれど本当は、毎日の台所や通勤電車、レジ待ちの列の中に、ひっそり置かれている。
観ること。
しかも、自在に。つまり、心が勝手に決めた物語に縛られず、目の前の現実をそのまま見つめる力だ。
私たちはよく「私はこういう人間だから」「あの人はきっとこう思っている」と、見えない字幕を世界に貼り付けてしまう。
その字幕は便利だ。
考える手間を省き、傷つかないための先回りにもなる。
けれど字幕が増えるほど、現実の輪郭はぼやけていく。
怒りは正義になり、不安は予言になり、疲れは「もう無理だ」という結論に化ける。
観自在は、そこに小さな間をつくる。
「怒りがある」「不安がある」「疲れがある」と、ただ名づけて眺める。
追い払わず、正当化もせず、抱きしめ過ぎもしない。
すると不思議なことに、感情は“私そのもの”ではなく、“私の中を通り過ぎる天気”に戻っていく。
雨の日があっても、空全体が雨ではないように。
自在とは、なんでも思い通りにすることではない。
むしろ、思い通りにならない現実の中で、見方だけは手放さないことだ。
ほんの数呼吸、目の前を観る。
湯気の立つ味噌汁の匂い、隣の人の咳払い、胸の奥のざわめき。
世界はいつも、字幕より豊かで静かだ。
観自在とは、その豊かさに戻るための、いちばんやさしい技術なのかもしれない。