身口意の三業
2026年01月13日 10:44

朝、電車のドアが閉まりかけた瞬間、後ろから押されて体がよろけた。
反射的に舌が熱くなり、「危ないだろ」と言いかけて、喉元で止めた。
代わりに深呼吸して、足を一歩引いた。
たったそれだけなのに、不思議と胸の中の波が静まっていくのが分かった。
仏教でいう「身口意の三業」は、行い(身)・言葉(口)・心(意)が、私たちの世界をつくるという見取り図だ。
いちばん厄介なのは、身と口は止められても、意だけは勝手に走り続けることだろう。
たとえば、相手に丁寧に接している“つもり”でも、内側では「面倒だ」「早く終われ」と舌打ちしている。
言葉は柔らかいのに、空気が硬くなる瞬間がある。
逆もある。
強い言葉を投げてしまった後、心のどこかで「本当は助けてほしかった」と気づく。
三業は別々ではなく、互いに漏れ出して、周囲に伝播する。
だからこそ、私たちは「正しいこと」より先に、「どんな心でそれをするか」を問われる。
三業を整える修行は、立派な場面より、どうでもいい一秒で試される。
レジでのため息、既読無視への想像、会議中の内心の嘲笑。
誰にも見えない“意”が濁ると、遅れて“口”が荒れ、“身”が雑になる。
だが逆に、意を少しだけ澄ませられれば、口は穏やかになり、身の動きも丁寧になる。
順番はいつも意からでいい。
今日、ひとつだけ実験してみたい。
何かを言う前に、「これは相手の明日を軽くするか」と心に尋ねる。
何かをする前に、「この動作は自分の心を荒らしていないか」と確かめる。
完璧にはできない。
それでも、三業がそろった瞬間、私たちはほんの少し“救いに近い手触り”を知る。
世界は大げさな革命ではなく、身口意の微調整で、静かに変わっていく。